まわるまわるよ 時代はまわる
店長の荘司です。
いや~、名曲ですね、中島みゆきさんの「時代」。
中島みゆきさんが唄うフルバージョンがなかったので、そうなればこの人たちでしょう。
僕は何歳だ?笑
そんな時代もあったよねと
いつか話せる日が来るわ
ってことで、今日は今まで僕が田口社長とどんな道を歩んできたのか、
ちょこちょこお店に立っていても聞かれるので、改めて整理してみようかなと。
2016年3月、転職に転職を繰り返し、流れ流され流浪人をしていた頃のお話です。
元々大学でもスポーツマネジメント学科というスポーツに特化した学科を卒業した僕はいつかはスポーツ業界で働きたいと思っていた僕。
(僕についてのお話は、またブログにまとめてみようかな?)
個人事業主として、京都マラソンの仕事を委託で請け負ってやっていたのですが、
その時の仕事っぷりはもう最悪なものでした。
段取りの1つも組むことができず、全てを一緒に仕事をしていた上司にあたる人
(業務委託なので、上司はおらず本当は成果物を僕が全て創り出さなければならない)
に尻拭いをしてもらって、何とか終えられたという苦い経験をしました。
成果物を出せていないので、報酬は全てなしになっても良いくらいの体たらくでした。
有り難いことに、その業務委託先の会社から次もどうだと、次で今回のことをすべて払しょくするような仕事をしたらどうだと言われたのですが、僕はこのまま個人事業主でやっていく自信、気力全てを喪失していました。
「こんなに迷惑をかけて、まだそれでも仕事を振ってくれるなんてどんだけ優しいねん。でもこのまま個人事業主として、この社会で生き抜く力は僕にはない。
もう一度どこかで、ちゃんと1から社会人としての基礎、基本を叩き込まないと僕はどうしようもなくなってしまう。」
そう思っていた僕は、それでも「スポーツ業界では働きたい」という気持ちを持ったまま、
その当時持っていた人脈の中で、スポーツ業界で仕事をしている人に相談してみようと思い立ちました。
そこで、学生の頃に知り合ってありがたいことに時々連絡をくれて、トレランを一緒にしたり、
転職の合間の期間にアルバイトをさせてもらった田口社長に【転職先の相談】に行きました。
あくまで、【転職先の相談】ですよ。笑
「誰かスポーツイベントを仕事にしてて、働く人を探してる人っていないですかね?
なんならスポーツ業界ならどんな仕事でも良いかな。。。」
って相談しに行っただけなんです。
(今思えばふわふわし過ぎやろ。笑)
それが全ての始まり、それがいつの間にか入社に至るなんて。笑
「で、いつからうちの会社にくんの?」
相談をしに行った僕に、開口一番こう返事をしてきた社長。
今でこそ皆さん社長のキャラを知ってる人も多くいるのでご存知やと思いますが、当時の僕は、
(えっ。この人話通じないの?
転職の相談してるのに、入社の面接みたいになってるやん。
ちゃうちゃう、こういうITベンチャーのゴリゴリ系社長みたいな目つき鋭くて、
質問攻めばかりされて論理的に攻めてくる人とは合わへんやろうし絶対に働きたくない!)
と思っていました。笑
(社長、素直でごめんなさい。笑)
今は少し丸くというか角がちょっと取れてきた感じですが、その当時はめちゃくちゃ性格きつかったんですよ。
(今もかな?笑)
失礼ながら、嫌だなぁと思ったので、どうにか断ろうと、
「いや、、、、穣さんと働きたくないというか、
えーっと、丹波で仕事をするんじゃなくて、
学生時代に過ごしてきて、個人事業主でも京都で仕事をしてるので、
京都でスポーツ系の知り合いとかいないっすかねぇ?」
「京都で働きたいんか!ほな、あれやな、京都に出店したらええだけやな。
で、とりあえず、いつからくるん?」
(何がアレやねん。アカン、マジでこの人話通じひんやん。。。。)
「えーーーーっと、えーーー、今月はちょっとディズニーに遊びに行く予定があるんで、4月からで。」
「なんやねんそれ!はよ来いや!」
ここで押し返せなかったのが、運の尽き。笑
流れ流され、僕が株式会社タグチに辿り着いた(入社した)のは、2016年4月。

こんな感じで入社した僕の最初の仕事は、
丹波篠山市にオープン予定だったランニング・トレイルランニング専門店「トレイルフェスト」の立ち上げです。
(京都のトレイルフェストランニングカンパニーの前身ですね!)

社会人フットサルチームに所属していた当時の僕は、ランニングもトレランもフットサルのための体力づくりの一環程度にしかとらえておらず、数か月に1回ほどやってたらいい方って感じでした。
そんな僕に、社長は、
「1年間、この篠山でトレランショップをして、
1年後移転オープンという形で、京都に出店するから、知識経験を蓄えろ!」
という話をしていました。
今思えば、よく右も左もわかってないスポーツ小売業未経験者に、
店の立ち上げから、店一店舗任せたと言えるなぁと感心します。笑
正直、当時の僕は訳わかってなさ過ぎて、
店ひとつ任せてもらう責任の大きさ、やるべきことなど全くわかっていませんでした。
ただただ重荷でしかなく、
(また無茶ぶりばっかり言ってきやがって。。。)
と思ってました。笑
(社長、素直な社員ですみません。笑)
ランニングやトレイルランニングに詳しくなかった僕がとにかく店の立ち上げを訳も分からぬまま、
毎日什器を組み立てたり、
パートさんの採用の面接をしたり、
商品の展示会に行ったり、
ネットショップの運営が分けわからず徹夜で、店に段ボール敷いて寝泊まりしながら仕事したり、
とにかくイベントせんかい!と怒られて、嫌々イベント立てても参加者0人で貸し出し用シューズの往復送料3000円くらいも回収できずまた怒られたり、
とてつもなく激動の毎日を過ごしました。
やってもやっても、やり方もわからなければ、
やってやるって言う気持ちも強くなく、今思えば、
「京都に行ってから本気出す。」
ぐらいのスタンスだったでしょう。
そんな奴が仕事で成果を出せるわけないですよね。
そして、僕は干されました。笑
1年後の2017年4月15日、
京都・河原町にランニング・トレイルランニング専門店「トレイルフェストランニングカンパニー」がオープンしたのですが、
1月頃発表されたオープニングメンバーの中に僕の名前はありませんでした。
「荘司は、京都に連れていかへん。
氷上のタグチスポーツ本店で弟の下で働いて、野球用品を売れ。」
かくして僕は、
サッカー経験者で、
ランニングとトレイルランニングの知識経験が少しある、
野球グラブの湯もみ加工職人となりました。
ちゃんちゃん。
って終われる訳ないでしょ!
でも、完全に
「京都行ってから本気出す。」
スタンスだった僕はへそを曲げて、毎日毎日日々を過ごしていました。
でも、ちゃんと仕事は仕事、と割り切って、やっていたつもりですが、
楽しくはなかったですね。
そのことも当時一緒に働いていた社長の弟さんは分かっていたでしょうね。
「野球とか興味もないし、辞めようかな。」
と思っていたところに急きょピンチヒッターの連絡が社長から入ります。
「トレイルフェストのオープンがこのままやと4月15日に間に合わん。
とりあえずオープンまでの準備に来い。」
へそ曲がりな僕は、内心はよ声かけろよと思いながらも、
「篠山の時みたいに、什器組み立てたり、ネットの契約から配線とか色々したらいいんっすよね」
としゃーなし感を出しながら、3月下旬ごろから急ピッチで進むトレイルフェストランニングカンパニーの立ち上げにも途中から参画できることに。
そして、オープンの3日前くらいですかね。
「荘司も京都店で働け。その代わりここに社員3人配置するってことはどういうことか考えて仕事しろ。」
という一言で、トレフェスのオープニングメンバーに直前で滑り込みました。笑


でも、考えて仕事しろと言われても、分からんものは分からんですよね~。笑
元スタッフの中谷が、
「当時の荘司さんの干されっぷり、理不尽な怒られっぷりヤバかったっす。
僕なら即辞めてた。笑
パイセン、さすがの鉄のメンタルっす。笑」
と茶化してくるくらいヤバかったみたいです。
それくらいに社長との不仲?
叩かれっぷり?
が最高潮だったのがこのトレフェス京都店の立ち上げの時ですね。
それでも、とにかく辞めなかったのは何だったんでしょうね。
どこかで、社長から聞いたか、
社長と仲のいい人から聞いたのか忘れましたが、
ふらふらしてる僕を見た社長が、
「俺が雇って、一人前の社会人にしたらな、コイツホンマにヤバいことなる。」
って思って採用したってことを聞いたから、
頭の片隅で、どこかでその気持ちに報いたい、
辞めるにしてもちょっとくらいは、
「コイツ採用して良かったな~。」
って思われて辞めたいと思っているからでしょうね。
それにしても、
「俺が一人前の社会人にしたる」
ってお節介な社長ですね。笑
そう思ってるか、定かではないですが、いろいろ経験させてもらって、そうやって思ってもらえるってありがたいことですね。
そして、色々怒られながらも必死に仕事を頑張って、
いつの間にか、フットサルの体力づくりの一環と思っていたランニングとトレイルランニングも知り合いの人に誘ってもらったりしていたら、フットサルを辞めてのめり込むくらいになり、
マラソンの師匠からかけてもらった鶴の一声、
「自分サブスリーくらいできるやろ」
という言葉でスイッチが入り、3か月半くらい本気で練習してサブスリーしたのも、2018年2月の京都マラソンでした。
この年の比叡山インターナショナルでもトップ10に入ったのも棚ぼたでしたね~。笑
トレフェスオープンから丸1年経った2018年4月にはトレフェスの店長に昇進させてもらって、
常連さんからこんなお祝いのお酒もいただきました。


2019年6月には新業態としてカフェという飲食店の立ち上げも社長と一緒にやらせていただくことができました。
元々、社長は家業のスポーツショップを継ぐ前は、飲食チェーンでバリバリ働いていたので、飲食の立ち上げを見れたのもすごく勉強になりました。
学生時代焼き鳥屋で4年ほどアルバイトしていた僕も飲食はとても懐かしく思いながら、
社長にあーやこーや言われながらも、麻婆豆腐作ったり、野菜プレート作ったりしてましたね。笑



そして、新スタッフの中村さんが入社して、
このスローハイクカフェを任せてからは、
僕が店長を一旦退いて傾きだしたお店を立て直せという指令の元、
またトレイルフェストの店長に戻って、
「さぁこれから過去最高の店にしていくぞ~!!!」
と思った矢先のコロナ騒動。
からの、小売業からサービス業である低酸素トレーニングジムへの業態転換。
そのプロジェクトリーダーとして任してもらっているなう、
って感じで今に至ります。

現状をぶっ壊し続け、とんでもないパワーで前進を続ける社長の背中の後ろを付いていきながら、
後ろからぶん殴ってやろうかと思ったことも数知れず。笑
(素直な社員でごめんなさい、3回目。笑)
それでも、今まで色々と経験させてもらって、
しかも、よく考えれば、
社長が前で、自分たちはその後ろなので、必然的に守られているんですよね。
個人事業主をやっていたので、思い返せばすごく蘇ってくるんですよ。
己が裸一貫で、世の中に放り出された時の無力感を。
小・中・高・大で学んできたことが一切役に立たないことを。
例えるなら、
戦車や重機関車が走り回り、
ライフルや、刀、馬に乗った将軍、様々なものが入り乱れている荒れ果てた荒野という社会に、
ただ一人真っ裸で立たされて、
「22年間で学んできたことは、国語、算数、理科、社会、英語です!」
と声高に叫ぶことくらいしかできない自分。
どう考えても無理ゲーですよね。笑
そんなところから今は、少しずつ色んな武器や防具、乗り物を使えるようになってきたって感じでしょうか。
どれだけできるか分かりませんが、
会社にも、
この社会にも貢献できるような仕事ができるように、
低酸素ジムになっても「自分らしさ」全開でやっていきたいと思います。
こんな僕ですが、
皆さんよろしくお願いします!
低酸素ジムになっても、社長譲りのお節介全開で、
お一人おひとりの目標にコミットしていけるような人間でありたいと思います。
そして、もう一つの目標が、
「こんな荘司さんと一緒に働きたいっす!」
とか、
「一緒に働いてて、勉強になるし、めちゃくちゃ楽しいです!」
と言われる人間になりたいなと思っています。
今のところ、僕と、社員の中村さん、
アルバイトとしてスタッフが1名内定している状態ですが、
もうあと2名くらい社員と同じくらいの責任感を持って一緒に仕事をしてくれるパートアルバイトさんを募集しています。
暫定ですが、店のオープン時間は11時~20時(19時30分最終受付)で、
11時~16時と
16時~20時(締め作業したら20時30分くらいかな?)
の2交代制のシフトにしたいと何となく想像しています。
週2~3日くらいから要相談で、
責任を持ってやってもらいたいということで、
交通費込みで時給1200円でお願いしようかと社長と話をしているところです。
細かいところは色々と変わってくるかもしれませんが、
ひとまず、話を聞いてみたい、
雰囲気を感じてみたいって人はお店にメッセージでも、僕に直接連絡でも何でもいいのでご連絡お待ちしております。
今はジムの立ち上げ工事をしてる現場を見てもらったりというだけになりますが、
荘司がどんな人で、どんな職場で、どんな仕事をしてもらうのか等ざっくばらんにお話できたら嬉しいです。
トレフェスFB https://www.facebook.com/trailfest.runcom
荘司個別FB https://www.facebook.com/junya.shoji
荘司個別twitter https://twitter.com/shoji_Jr